先日、ある質問を受けた。
「投資とは、突き詰めれば、一言で言えば何ですか?」
その時は、理屈を捏ね回して答えはしたが、自分でも腑に落ちないし、聞かされた方はもっと分からなかったろう。「今日はこの位にしといたろ」という感じで鉾を収めてくれた。その後、つらつらと考えた。もちろん、いろんな角度からとらえられるし、答えは一つではないと思うが、私なりの解釈は「参加すること」だと思う。
いろんな参加の仕方がある。株の個別銘柄に投資をすれば、その会社の経営に参加することになるし、株式投信を購入すれば、該当の企業群(或いは1国の経済全体)の経営に広く参加することになる。債券を購入すれば、経営に直接タッチはしないけれども、資金を貸し出し、そこから利息をつけて返してもらう、そんな参加の仕方になる。
少子高齢化や公的年金の問題から、投資が必要だと言われるが、もう一つ「参加する」という意味合いからも投資が必要になってきていると、最近思うようになった。思うようになったというのは、頭でわかるという意味ではなく、文字通り「腑に落ちた」のだ。
私は、バブル経済の崩壊時に社会人となったが、その当時はまだ「古き良き文化」が色濃く残っていた時代だった。日本の会社はどこも「年功序列」「終身雇用」が常識だったし、「リストラ」という言葉はまだ市民権を得ていなかった。高度経済成長時は、会社勤めしているだけである程度日本経済の成長に参加できたいい時代だったと思う。しかし、今は違う。戦後最長の景気拡大といわれても、国民としては実感が無いし、企業が儲かっていても給料は増えないし、ようは個人と世の中がリンクしていないのだ。
だから、世の中の成長にリンクするためには投資が必要なんだと思う。そうやって考えると、いろんな資産に分散することが必要というのも、理屈でなく、肌感覚で分かるような気がしてこないだろうか。